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神様だってサイコロを振る

考え事とキリスト教の話。

思い出補正をこれからも

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レトロゲームにハマっている。

それぞれの年代によって「レトロゲーム」という括りは違うと思うけれど、僕にとって子どもの頃のゲームといえばゲームボーイスーパーファミコンだった。

 

最近のゲームは昔よりもずいぶん複雑になった気がする。

グラフィックだってきれいになったし、昔よりも多くのことができるようになった分だけ、プレイヤーの操作も複雑になった。

けれども、ふと思う。

 

最近のゲームには、昔よりもリアル感がないなあ、と。

 

昔のゲームにあって、今のゲームにはないリアル感というのは、たとえば乏しいグラフィックと演出から僕らの頭の中で作り上げられる臨場感のことだ。

不親切でぶっきらぼうなゲームシステムが逆に自分自身がその世界にいるかのように感じられていた、そういうリアル感のことだ。

 

どんなに複雑な操作と美しい画面とキャラクリエイトがあったとしても、昔ほど自分はそのゲームの世界には没入できていないのではないか、と思う。
結局は映画を見ているような気分になったり、自分の分身であっても自分ではないという線が無意識に引かれていたりする感覚。思い出補正というものがあるのかもしれないけれども、きっと10年後に今のゲームを思い出すのと、10年前のゲームを今思い出すのとでは、全く違うものになるのではないかと思うのだ。

昔のゲームはやれることが限られていて、描写もグラフィックも細やかでも丁寧でもなくて、僕らはその欠けた部分を想像で補っていた。
だから強く記憶に残っている。思い出補正がかかる。
けれど、今のゲームは欠けた部分がどんどん少なくなっている。そんなゲームは果たして、今の僕らが昔のゲームに感じるような鮮明な思い出を将来与えてくれるだろうか。
今なおレトロゲームが愛され続けているのは、単なるノスタルジーだけじゃないと思うのだ。


そんなわけで、世間はニンテンドースイッチを買って半裸のリンクをゴブリンの村に突撃させる遊びをしている傍らで、僕はスーファミをやり始めました。
スーファミ名作多すぎる。